バルセロナとチュニジア
しばらく、バルセロナに行っていました。地球上にあんなに素晴らしい場所があることに感激し、
年間に何千万人も訪れる本気の出た観光地というものをしみじみと味わったのであります。
あくまでもバカンスだったし、チュニジアと全然関係ないのでここに書くわけにはいかない。
ちょっとだけ発見したチュニジアのかほりを届けます。
ボルンというアートの盛んな観光客用地区をふんふん歩く。ヨーロッパはおしゃれな品物がとても多くて面白いですね。そんな中に、見覚えのあるアレを発見。
チュニジア製っぽいフタ。なんと20ユーロ
店員さんに聞いてみたら、やっぱりチュニジア製だという。彼女はフランス人で、フランスのビーチではこういうのが大変人気があるので、バルセロナでも売ってみようと思ったそう。彼女は買い付けにでず、彼氏がチュニジアに来ては買い付けをしているのだそうな。
バルセロナでアラブっぽさを感じるところは少なく、かろうじて上記の店と、Ravalという地域でしょうか。道端にたまるアラブ風の人の横を通って、発音によってモロッコ人であることを確認。
そのモロッコ人たちの集うあたりのカフェで休憩する( ^ω^)・・・一応、北アフリカというくくりですよね
アラブって横の人と話しやすいカフェの構造が好きだよなぁとしみじみと思うわけです。
残念ながら客が全然いない。バイトのお兄ちゃんはモロッコ系スペイン人でした。
この後ほとんどチュニジアの香りからは離れ、チュニジア語からも離れ、すっかりスペイン語やフランス語のクラスを満喫したわけですが、
帰りの飛行機で遂に現実に戻る。
となりに座ったのは、スペイン語をペラペラと話すチュニジア人。
「これ書きなよ」
と渡されたチュニジア到着時必須の滞在届。私はスペイン語はわからないので、
チュニジア語なら。というと、これまたペラペラと話し始めました。
おっちゃんは1989年16歳の時にバルセロナにわたり、その後28年をバルセロナで過ごしてきたといういます。
ガラス工場でしばらく働いたのち、タクシー運転手に転向。
毎年夏は子供たちを2カ月ほどチュニジアに送り、自分は細切れに10日間など帰っては、また仕事に戻る。
チュニジアはだめだ。金がなければ良い生活ができない。バルセロナは働きさえすれば、
きちんと給料が出る。
そんな生の声です。
チュニジアで働くようになって、いかに庶民の生活が難しいか少しわかったつもりでいる私も、
うんうんと納得しておっちゃんの半生を聞くのです。
チュニジアの空港に着くと、
「さっきバルセロナから戻ってきた人ですか」
とお兄さんが話しかけてきました。長らくスペインに住んでいた、今はラマルサでチュニジア語の先生をしている人。私とおっちゃんの会話を聞き、興味をもったとか。
スペインに住んでいるときに、チュニジア語の研究を一人でひたすらやったお兄さんは、
スペインのチュニジア人の子供たちにチュニジア語を教えるようになり、
帰国してからも口コミで評判が広がり、今も小さい学校でチュニジア語を教えているといいます。
今は毎年2カ月ほどヨーロッパの山に行くそうで、今回はピレネー山脈にいたのだといいます。
真夜中だったので、彼が家まで車で送ってくださり、私のチュニジア帰国は完了しました。
最初から最後まで実りの多い滞在でした。ありがとうバルセロナ!!