パウル・クレー 色彩の躍動の地

日本人が大好きなパウル・クレーがチュニジアを旅したのは1914年、
ちょうど今から100年前のことである。
パウル・クレーはとりわけケルアン滞在時、色彩の躍動という神秘的な啓示に打たれたと『クレーの日記』にある。

窓辺でドローイングをする人(自画像)

「窓辺でドローイングをする人(自画像)」 1910

ケロアンはチュニジアのかっての聖都で、首都チュニスの南160kmにある。ケロアンは670年頃に建設が始まり、
名前は”キャンプ”,”キャラバン”,”休憩場所”を意味するアラビア語のkairuwân,ペルシ ア語でのKâravânに由来する。

モスクのあるハマメット風景

つまりこのケロアンとはイスラムの町なのである。ク レーはそこでイスラムの色彩と
その躍動に身をまかせ、『モスクのあるハマメット風景』に結実させた。

南チュニジアの庭

こうしてクレーは鮮やかな色彩に目覚め、作風は一変した。「色彩は、私を永遠に捉えたのだ」という言葉通り
この旅行以後、色彩豊かな作品が生まれた。クレーの表現の幅は飛躍的に拡大した。

            南の庭

 

            金色の魚

1933年のナチス政権の成立とともにはじまった前衛芸術の弾圧から逃れて生まれ故郷のスイス・ベルンに亡命した。
1940年、画架に『無題(静物)』を残してロカルノ近郊のサンタニェーゼ療養所に移り、その地で死去した。

大手スマートフォンのケースデザインにも採用された『無題(静物)』が遺作となった。(平)
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