犠牲祭が終わる

今年の犠牲祭も、たいへんのどかに終わりました。

私は毎年どこかに呼ばれて羊を食べていましたが、今年はお呼びがかからなかったので、

日本人で小さく集まって食事をしていました。

よって、2日間家から20mの範囲内にずっといました。

 

まだ好奇心旺盛だった去年は、犠牲祭中の街を練り歩いていました。

羊が大量死したあとの街は異様に静か。

祭といっても祭日のほうで、人気がなくがらんとし、すすけたカフェが数軒空いていて、

そこで羊を切って疲れたオヤジらがぼーっと座っています。

街のそこらでは、暇になった兄ちゃんたちが羊の頭や、あんまり食べるところがなくなったのを

焼いて遊んでいる。なので、どこを歩いてもなんとなく香ばしい匂いが漂っています。

 

また、去年は前に働いていた会社の上司に招待され、彼の家で羊料理をご馳走になりました。

私は彼とあまり馬が合わなかったけれど、仕事以外では大変やさしいオヤジであった。

彼はチュニジア北西の出身で、その辺の羊は尻尾が極太で肉もウマイのである、と豪語していた。

彼は虫も殺さないほどヤサ男であるのに、羊を切ることは何故か抵抗がないとも言っていた。

 

こんな話もあった。ユダヤ教徒の屠る肉は、大変おいしく、さらにハラールなのだと言います。

ユダヤ教でもイスラームと同様、一発で殺して血を抜ききらなければならない。

ユダヤ教徒は、「寝そべったときに地に付く部分」(例えばお腹とか)を食べないらしく、

その部位をムスリムたちに売っていたそうだ。ムスリムたちも、おいしいので喜んで買っていたとか。

実はブルギバスクールの目の前に、本当にユダヤ教徒のやっている肉屋があり、

なかなか信憑性のある話だなぁと聞いていた覚えがあります。

 

犠牲祭を当事者たちと過ごすことは、発見が多く、興味深いものです。